湖の奥は孝だらけ

湖o(こぉ)の脳から直接原液を出力したようなブログを目指しております 「このおくはこうだらけ」と読みます

葬送の

昨日、東京へ戻ってきました

 

祖父(父方の父)が亡くなったため、青森へ行っていました

一通りまとめて書いておいて、自分のための記録とします

 

 

12月31日

母から「祖父が危ない おそらくもうダメだ」という連絡が届く

数時間後に亡くなったと正式に連絡が届く

 

2025年 生きていれば89歳

よくここまで長生きしたものだ ほぼ寿命だ

年齢的にも仕方ないという気持ちだ

 

死因としては急性肺炎 そこからの敗血症性ショック

体温も非常に低い状態になっていたと後で聞く

 

1月1日

お店は混んでいるだろうから外には出たくなかったが、

青森へ行くということもあり、ヒートテックを増やした

葬儀に向けての服も少し足りなかったため補充

 

実家に帰るのを急遽やめたこともあり、冷蔵庫に食材を補充していた

また冷蔵庫をなるべく空にするタスクが生まれた

初めて卵を冷凍したけど、中々に冷凍卵は使いづらいね

 

1月2日

父母と東京で合流し、東北新幹線で青森の方へ 3時間 長い

でも、愛知から車で丸一日かけて行ったこともある

そう考えると、3時間は短いとも言える 長いけど

 

青森へ到着 とてつもない雪が目の前に広がっていた

ここからは父の姉に大分お世話になる

葬儀場へ行き、祖父の顔を見ることに

 

祖父は3ヶ月ぐらい前から認知症になっていたと聞かされた

認知症ランクで言えば、徐々に1から4へ進んでいったとのこと

 

祖父は12月から施設に預けられていた すごくお金が掛かる

すぐ亡くなったのは金銭的にも救いかもしれない そんな話をしていた

 

認知症になった人がどういう精神状態になっているかはわからない

精神は正常なのに、上手く操作だけ効かないとかだったら辛いよね

認知症にならない方法がもしあるのなら、今の内から学んでおこう

 

青森の家へ到着 20年振りに祖母と再会

祖母は3ヶ月ほど前に少し体調を崩していたが、今は大分回復した

なるべく長いこと元気でいて欲しいが、91歳だからなぁ

また近い内に青森へ行くことがあるかもしれない

 

1月3日

家の中の掃除をしまくった日

完全に掃除するのは不可能なため、使用する領域をある程度

そこら中にクモの巣があった もはや諦めだ

 

一日掃除して、ある程度綺麗な状態となったため終了

次青森へ帰ってきた時も掃除からスタートだろう

 

祖母も亡くなった時、この家はどうなるんだろうなぁ

取り壊しとなるような気がする その時には更なる大掃除か

 

1月4日

夕方から葬儀場の宿泊室へ泊ることに

最近できた葬儀場ということもあって、すこぶる快適な環境だった

いいホテルと言って差し支えない この環境を東京へ持ち帰りたかった

 

1月5日

出棺、火葬、通夜を行った

順番を今調べたが、東北の方は火葬が最初になるらしい

出棺の際、周りで泣いている人を見て泣きそうになった

 

火葬を終えた 人間ってほぼ水分なんだなぁ

骨だけ見るとこんなに小さくなるのかと思った

祖父は身長が大きい それでも箱のサイズになるのか

 

棺の中の顔を見た時も、骨を見た時も思ったが、

祖父が比較的健康に生きていたようだ 非常にきれいだった

 

通夜の際、喪主として父が挨拶を行った

葬儀の方が用意してくれたテンプレートでの挨拶

 

ただ、父がまともに文章を読んでいる姿を私は見たことがなかった

ちゃんと仕事らしいことができる父だったんだなぁと

そんな姿を見て泣きそうになった 私の涙腺はすぐ緩む

 

通夜まで完了し、今日はここまで

その場にいる人とオードブルを囲むことに

ほとんどが知らないおじいちゃんおばあちゃんだった

 

1月6日

葬儀・告別式を行った

昨日はちゃんと話せなかったが、この日は従兄弟と話した

 

20年振り だけど、20年前は話せて無かった気がする

私は人見知りだからね 今回は話せた

お互いにちゃんと社会人としてやっているんだなぁと実感した

 

昨日はちゃんと話せなかったおばあちゃんと仲良くなれた

訛りがあまり無い人だったから、非常に話しやすかったなぁ

祖母は訛りの塊のため、話の1割ぐらいしか理解できていない

 

葬儀が一通り終わり、祖父母の家で従兄弟一家と食事

従兄弟一家は相当忙しいタイプの家族だ 台風そのもの

私は静かに食事を食べるタイプのため、穏やかじゃなかった

父の姉、父も割と大声忙しいのタイプ あまり休まらないね 

 

1月7日

この日まで忌引き休暇だったため、一足先に私だけ帰ることに

何だかんだ忙しかった青森での生活 家族との生活

 

いざ東京に帰って一人になると思うと、寂しい

また孤独な生活に戻ってしまうのかと

極端すぎるんだよなぁ 0か100のようなボリューム

 

 

家族が亡くなったことによって、死を身近に感じた約一週間

人間いつ死ぬかわからない 私だって急に死ぬかもしれない

父母だって健康に過ごしたところで30~50年したら寿命だろう

父母ほど近い存在が亡くなったら、私は耐えられるだろうか

 

必ず訪れる寿命による死 どうしても避けられない未来

自分自身の死がより怖くなってしまった気がする

 

生きている内にあらゆることをどうにかしなければ

そんなことを再実感させられる日々であった

真面目にライフプランを考えて生きていこう

 

 

そんなわけでメンタルとしては、現在は低い状態にいます

少しの間、ブログを更新するぐらいしか活動出来ないかもです

もうしばらく精神的休憩を頂くことにします